絹の舞

足柄刺繍 上田菊明作品集 絹の舞

足柄刺繍として25年に亘る制作活動の中から代表作40点を収録した初作品集

A4・48ページ(40作品収録)
価格:2,200円(税込)送料:200円

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足柄刺繍 上田菊明 ギャラリー 1

上田きくあき写真
古代・近世の刺繍
 刺繍の歴史は古く、約1700年前(西暦283年)中国秦の功満王が京都太秦(うずまさ)に養蚕・織・繍箔の技術者を使節として派遣、日本に伝えたと云われています。
 日本で現存する最も古い繍には、奈良中宮寺にある天寿国曼陀羅繍帳(西暦623年)があるそうです。 また、正倉院御物の中には花樹孔雀文繍を始め数多くの作品があり、朝廷や寺院を中心にした繍仏やその付属品など、昔は仏教に関連のある作品が主体となっています。 これらの物は神社仏閣に奉献したのではないかと思われます。
 その後、桃山時代の頃より繍が服飾に使われました。小袖や打ち掛けに多彩な糸を使い分けて重厚な豪華さが表現できるところから、上層社会の人々はこれらを好んで作らせました。各大名がお抱え繍師を雇っていたようです。繍箔は美しさと贅沢を必要とする世界の人々のもので、極めて貴族的要素の強いものであったと思われます。
 江戸時代には、総繍の能装束が多く作られ、振袖や袱紗・腰帯・腰巻に至るまで、最高の贅沢の象徴であったようです。明治に入り、お抱え繍師であった人達が、個々に工房を持つようになりました。そして、壁掛や衝立・屏風・額等装飾の分野と共に室内装飾としても、その格調の高い繊細な技術が尊ばれ、庶民の日常生活にまで広く普及しました。
 その後大正から昭和にかけて外国の文化が入り、図案・色彩等も洋風を取り入れ手法が細微になりました。その後戦火が広がり、昭和15年禁止令が出されるまで続きました。
 明治末から大正・昭和にかけて、小田原にも繍箔が一大産業として栄えた時期があります。
 この繍箔は、足柄地方独特のものであり、絹糸一本の太縒の糸をぼかし染めにし、芯肉を高く入れ、立体的な大胆な手法を取り入れています。この刺し方は他に見られず、欧米・その他各国にもてはやされ横浜港より輸出されました。
 着物・伴天・ガウン・スカーフ等を扱った繍問屋が、小田原・二宮・秦野・松田地方に増え、これにともない家庭内職も盛んになりました。その後は前記のごとく戦時となり、不況で注文も激減し、技術者の老齢化も相まって徐々に途絶えてしまい、現在は幻の繍となりつつあります。私はあえてこの繍を昭和57年「足柄刺繍」と名付け現在に至っています。

上田菊明

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