絹の舞

足柄刺繍 上田菊明作品集 絹の舞

足柄刺繍として25年に亘る制作活動の中から代表作40点を収録した初作品集

A4・48ページ(40作品収録)
価格:2,160円(税込)送料:160円

小田原市内では、平井書店、伊勢治書店で販売中

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めぐる季節

足柄刺繍 上田菊明 2

━ 国府津の駅ができたことでこの辺りに刺繍が広まったようですが?
 それはもっと後の話で、話が戻りますが、明治5年に東京から桜木町まで鉄道が敷けると横浜の田舎の方に、田舎といっても弘明寺とか上大岡の方とかほんとの農村地帯で、その辺の産業として随分栄えたそうです。明治20年ごろだったか、国府津まで鉄道が敷けると横浜の港に近いということと、この辺の地域に産業が無いということで、農村や漁村の副業として大勢の人が従事していたようです。
━ 先ほど先生のご自宅もをされていたとお伺いしましたが?
 祖父の代は箱根に住んでいましたが、私の親が小田原に出てきて家業としてを夫婦でやっていました。終戦後の話ですけど、両親と兄2人と姉さんと私と6人くらいで仕事をしてました。当時は凄い繁盛で、家族6人でやっても朝から晩まで仕事があって、20人ぐらい女工さんを雇って2階で朝から晩まで刺していましたし、それ以外にも方々の家庭に内職として出していましたので、その集配なんかも私がやっていました。
━ 5、6歳のころから家業のお手伝いをされてたということですが、先生が繍箔としてお仕事されるようになったのはいつごろからでしょうか?
 私は戦争中の子であまり学校も行ってませんし、勉強はしないで3年生から6年生くらいまでは兵隊さんと一緒に山の方へ行ってました。ちょうど高等科を卒業したころが16歳だったか、それを期に家業を手伝うようになりました。
━ 先生が家業を継がれたというのは自然の流れですね?
 自然の流れっていうか、その内に仕事がだんだん無くなり最後は作家になったんですが、もとはそういうことに携わっていましたので、それが幸いしたっていうことでしょうか。
━ なぜ小田原の刺繍産業は衰退していったのですか?
 衰退といっても戦争が終わって進駐軍が横須賀や横浜に進駐してきたころは5、6年は凄い景気で、刺繍自体はものすごくよかったようです。その後は高度成長の時代で、産業として小田原にも色々な商売の方が来て、昔は小田原には大きな工場なんて無くて、パート収入も無かったから刺繍に人が集まったんですけど、昭和30年頃から注文も無くなり衰退していったんですよね。それと女工さんも高齢化して、仕事もないし作る人もいないので、繍箔という仕事は自然と絶えていくようになりましたね。

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