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▼ vol.1 足柄刺繍 上田菊明

 小田原市を中心とした地域では、明治より昭和にかけて栄えた刺繍産業があった。上田氏は縫箔を家業とする家に生まれ、16歳頃から本格的に家業を手伝うようになった。
 昭和30年代には仕事もほとんど無くなり、産業が衰退していく中、一人、縫箔の技を守りながらその作品を芸術の域にまで持ち上げた。上田氏に刺繍にかけるその思いをうかがってみた。

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糸のこミシン

木象嵌 内田定次 4

━ 一つの種板からズクは何枚とれますか?
 糸鋸の振幅が3㎝ほどなので、種板をそんなに厚くは出来ないんだけど、鉋の歯を磨いで2㎝の種板から200枚ほど削ったこともあるよ。一枚いくらだから出来るだけ薄く削るようにしないと儲からないよ。
━ 浮世絵からキティーちゃんまで図柄の幅が広いですね?
 浮世絵や鶴、鯉などは、自分の好みで制作しているけど、図柄は問屋さんから依頼を受けて制作するものも多いよ。百合とかは県の花として、県から依頼を受けて制作したね。若い頃は土産物ばかり作ってたけど、50代になって問屋さんと相談して、少しずつ浮世絵など手の込んだものを手掛けるようになったね。細密になればそれだけ手間もかかるので、商品としては値が張るものになるけど、当時はそういうものが珍しかったので、それなりに引き合いはあったよ。それに、今までと違い難しいけど、随分勉強になるよ。何にしても作った後は、やはりああすれば良かったって反省するし、満足することは無いね。
━ 木象嵌人生70年ということになりますが、比較的収入は安定していましたか?
 私は365日、朝から晩までひたすら作り続けるだけで、暮らしのことや仕事のことの一切は女房が仕切ってくれてたよ。それはまた、看護婦として勤めだしてからも変わらなかったね。
収入は波のように浮き沈みがあったし、朝鮮戦争のころは廃業した仲間もいたけど、土工でしのいだりして閉めることはしなかったね。女房の理解もあったし、看護婦として勤めていたから好きにさせてくれたと思うよ。
━ 種板を削るときは、奥さまと二人で大鉋をかけられていたと伺っていますが?
 そうだね。男でも素人が力任せに手伝ってくれるより、女房の方が力加減が良いよ。それに削った後のアイロンがけは、全部女房がやってくれてたよ。

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